5月29日(日)
ワークショップ 元気のぼり
6月4日(土)
地元の子供たちによる田植え
6月11日(土)
オープニング・セレモニー 和太鼓コンサート
オープニング・トーク
田んぼからのメッセージ
中村 桂子(生命誌研究者)、若一 光司(作家)、
新宮 晋(アーティスト)
ワークショップ 風車を作ろう
6月19日(日)
ワークショップ 七夕飾りを作ろう
7月9日(土)
ワークショップ
田んぼの虫や生き物の観察 1
7月23日(土)
ワークショップ
田んぼの虫や生き物の観察 2
9月4日(日)
ワークショップ アートかかしを作ろう
ワークショップ
オリジナルの焼き物を作ろう
9月25日(日)
子供たちによる稲刈り
「かかし」と「焼き物」の発表
風の妖精たちのパレード
野外ジャズコンサート

スケジュール・内容は変更する場合があります。
オープニング・トーク 田んぼからのメッセージ
2011年6月11日
中村 桂子(生命誌研究者)、若一 光司(作家)、新宮 晋(アーティスト)
新宮

今原発がすごい問題になっていますよね。先ほどもちょっと触れたことですが、日本人の自然観と、西洋的な自然観の違いということもあるのに、日本人が、まるで西洋人みたいな感覚に急になったというのが、問題の根本にあるのではないかと思います。
かつての日本人だったら、もう少し時間を掛けて、経済一辺倒ではなく、自然との調和をはかろうとしたのではないかと思うのですが、そこを大急ぎで進んだがために、そして経済効率ばっかりを優先したために、今回の悲劇がなお深くなったのではないかと思っておりますが、如何でしょうか。

若一

農業とか農耕とかは、有機的な連鎖の中で成り立っているものですよね。それを機械的なメカニズムで考える発想というのは、やっぱりヨーロッパの中心発想としてあると思います。
ただまあ、我々日本人は農耕民族で、ヨーロッパの人たちは狩猟民族だという二分の仕方は間違っていると思うんですよ。世界のどこでも、都市の発達したところには、人々の生活と経済を支えるための農業が、必然的に成立していた訳ですから。
狩猟的な人種ではあっても、その根元では農耕文化を持っていたりもします。

日本の農耕文化の特質を規定しているのは、やっぱり稲作だと思うんです。その稲の生育の循環を、生き物ならではの有機的な見方でとらえつづけてきた結果、日本人の死生観が、稲とオーバーラップしている。
例えば私たちは、からだのことを「身(み)」と言いますし、その一部を「目(め)」や「鼻(はな)」と呼んだりします。これって、みんな植物とダブりますよね。植物の「芽(め)」や、「花(はな)」や、「実(み)」という具合に。
あまり気に留めませんけど、私たちは日本人は無意識のうちに、植物と人間とを、とくに稲作と人間の一生を、イメージ的に同化させてきた。稲が種から芽吹き、青々と茂り、やがて黄金の実をつけ、そして枯れてゆくというような、そうした植物的な循環と重ね合わせることで、日本的な自然観や死生観を身につけてきたと思うんですね。
だけど、そうした自然観や死生観が、非常に非生産的なものなんだと、近代化の過程で思わされてしまった。機械的唯物論みたいな、すべてをメカニズムで考える欧米の発想の方が、生産性が高くて、植物的な、有機的な連鎖をベースにするような日本人の発想は生産性が低いんだと、そう思わされてしまったことの間違いがね、いまだに続いていると思うんですね。全く逆だと思いますが、実際は。

中村

今おっしゃったことを身近な日常的なことで言うと、機械を使った社会で大事にしている価値が、とにかく効率的に早く出来ること、便利になることです。それを、日常の言葉にすると、まず早く出来ること、それから手抜きが出来ること、思い通りに出来ることです。
例えば、ご飯を炊くことを考えます。私の母の頃ですと、薪を燃してお釜で炊いていました。これは手抜きは出来ませんね。初めチョロチョロ中パッパと言ってずっと見ていなければならない。慣れた人がやらないと、おこげを作ってしまったり思い通りに出来ない。
今は炊飯器ですからスイッチさえ押したら手を抜いて思い通りに美味しい御飯を作ってくれます。とても有難いですね。有難いけど、よく考えてみると、生き物はそれが出来ないんです。まず早く出来るか。

そこに赤ちゃんがいらっしゃるけれど、1才2才3才と時間がかかる。うちの子だけすぐ5才になれと考えてもこれは無理ですね。しかも、2才は2才、3才は3才それぞれの時期が大事です。機械は時間を切っていい訳ですね。
それから、子供を育てる時に、実は私はとても反省をしていますが、手を抜いてはいけないんですね。かなり私は手を抜きましたけれど。
研究としては同じことを解明していたのにうまくモデルを提唱するところへ行かなかったのは残念なのですが、モデルに止まらず実際の機序を追うことが大事なので若い研究者につないで展開したいと思っています。
ここでは、一生懸命、時間を掛けて手を抜かなければ思い通りになるかというと、なかなか思い通りにならない。農業もそうですよね。早く出来ません。イネを植えて、明日お米を作ってくれと言われても出来ません。
しかも、途中一生懸命手をかけたら思い通りに出来るかと言うと難しいですね。農家の方は思い通りに作られるけれど、私もトマトを作ってみたのですが、皮が固くて。来年は頑張るぞと思っているんですけれど。

ですから、早く出来て、手抜きが出来て、思い通りに出来るのがいいと決めたら、生き物は駄目ということになってしまいます。そこで、機械による産業より農業の方が駄目とされました。子供も早く出来ない子は駄目。何か生き物っぽさを全部バツにしてきちゃった。これをもう一回生き物に戻す。

若一

それに関してね、いつも思うんですけど、その効率論でいけば、子供でも、物事を早く理解出来る子供の方を、我々つい評価しがちですよね。

中村

ちゃんと見てないんですよ。こっちが思った通りの答え出す子だけで、別の、答えっていっぱいあるんですよ。別の事考えてる、もっといい事考えてる子がいるかもしれない。でもその子バツなんです。

若一

ひと昔前だったら、冬になれば日本の家庭には必ず火の元がありましたよね。例えば火鉢があったり、石油ストーブがあったり。それに触れたりして、子供は必ず1回はやけどしましたよね。
で、1回やけどを経験したら、その後は2度とやけどをしない子がいる。

一方で、3回も4回もやけどしても、また5回目のやけどをするような子供もいる。すると大人は、何回もやけどする子に対して、「お前はアホか。あそこの子は1回やけどしただけで済んでるやないか」と、ついそういう言い方をしてしまうんだけれども、1回のやけどで火の怖さを分かる子もいれば、5回やけどすることで理解する子もいる。
それはいわば、理解の方法論が異なっているというか、一種の持ち味だと思うんですが、それを「1回しかやけどしない子の方がえらい」と、ついついそう評価してしまいがちですよね。あのあたりにも、効率面から人間を評価するものの見方が浸透してしまっている。その辺にやっぱり問題ありますね、基本的に。

個々の持ち味というか、人間の多様性を尊重するというのは、逆に言えばそういうことも含めての尊重じゃなければと思いますね。

新宮

まず失敗の素晴らしさね、それがなければやっぱり。人間って、失敗もなく人生過ごしてごらんなさい、こんなつまらないことはないと思います。出来たら、恋愛しても、失恋もちゃんとしなきゃいけないと思うんですね。
そういう効率っていう意味では、今の機械文明がどんどん発達したことによって、何が起こったかっていうと、本当は、人間の本来持っているかもしれない能力が低下したんじゃないか、ということをよく思います。

これはガンジーが言った言葉ですが、人間が発明したものの中で、いい発明だと思うのは自転車とミシンだと。それ以上複雑なものは、本当は、悪魔から提供されたようなものだと。

人間の能力がどんどん低下するっていうことを僕が感じたのは、ウインドキャラバンという、先住民といわれる人たちが住んでいるところをずっと巡る、展覧会というか、一種の文化探訪みたいなのをやった時に、彼らが電気も無くて水もない所で暮らしておられるのを見ながら、我々だったら3日ともたないなあと思った時です。
何かが起こった場合、彼らの方が生き残って、文明社会にどっぷりの、文明人といわれる人たちの方が簡単にネを上げるんじゃないかと。これはやっぱり考えた方がいいと思うんです。

中村

文明社会じゃないところは、いかにも単純な生活をしているように見えますよね。でも私に言わせれば、人間が考えた最高の機械より、アリ一匹の方がよっぽど複雑なんですよ。だから自然と接している人の方が、頭をたくさん使っていると思うんです。

電気がない、水道がないところで暮らしている人は、原始的で我々より劣っていると思いがちですが、とても複雑なものを理解してそれを使いこなさないと暮らせない訳ですから。すごい能力を使って生きている人なんだと思います。

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